吉田和弘氏ガマの油売り口上士 筑波和弘(つくばわこう)(本名:吉田和弘)氏


がまの油の伝説
筑波山知足院中禅寺の住職だった光誉上人が、大阪夏の陣、冬の陣に徳川方として従軍した折、陣中でお経を上げたり、怪我人の手当てをしたといわれます。
その際、傷口に塗ってやった膏薬が良く効いて人々に 大変感謝され、その坊さんががまのような顔をしていたところから、「がまの油」になったと云い伝えられています。

がま口上の由来
光誉上人の死後7、8年たった頃、筑波山の隣村新治郡永井の兵助なる人物が、「さあさあお立会い」から始まる宣伝文句を考案し、江戸に出てがまの油を売り 大いに当てたのが、始まりといわれます。
その後、落語や大道芸を通じて今日に伝えられてきました。

がま祭り

光誉上人の供養とがまをねぎらう祭りとして1949年に始まり、お座替祭と共に筑波山を代表する祭事です。

毎年8月第一日曜日に開催、その中で行われるがま口上大会には全国から多数の出演者が参加します。

また祭りのハイライトはがまみこし(樫材で重さ約600kg)が地元葵会の青年達により担ぎ出され、毎年多くの見物客をあつめています。

がま口上全文
さあさあお立ち合い。御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで見ておいで。遠出山越えは笠の内、聞かざる時には物の出方、善悪、黒白がトント分らない。 山寺の鐘がゴォーンゴォーンと鳴ると雖も、童子来たって鐘に撞木を当てざれば、打たれる鐘が鳴るのか打つ撞木が鳴るのかトントその音色が分らぬが道理だ。

お立ち合い。さて手前にここに取り出しましたるれなるこの棗、この中には一寸八分唐子発条の人形が仕掛けてある。我国に人形の細工師数多ありと雖も、京都にては守随、大坂表にては竹田縫之助、近江大じょうは藤原朝臣、この二名をおいて上手名人はおりませぬが、手前のはこれ近江津守の作じゃ。咽喉には八枚の小鉤を仕掛け、背中には十と二枚の歯車が組み込んでござりまする。この棗をば大地に据え置くならば、天の光を受け地の湿りをば吸い上げまして陰陽合体。パッと蓋を取る時には、ツカツカツカツカと進むが虎の小走り虎走り、後ろへ下がれば雀の独楽取りは独楽返しに孔雀霊鳥の舞と十二通りの芸当がござりまするが。

如何に人形の芸当が上手であろうとも、投げ銭・放り銭はお断りじゃ。手前大道にて未熟な渡世はしているけれども、憚りながら天下の町人、泥のついた投げ銭・放り銭をバタバタバタバタ拾ったとあってこの男がすたる。しからばお前、投げ銭・放り銭もらわないで何を以って商売としているのかと、問われるお方があるかも知れないけれども、これなるこの看板示すが如くに筑波山妙薬陣中膏がまの油。このがまの油という膏薬をば売りまして生業として致しておりまするで。

さてさて。いよいよ手前ここに取り出したるがそれその陣中膏はがまの油だ。だが蟇々と言ったって、そこにもいるここにもいるという物とはちと物が違う。ハハァ蟇かいなんだ蟇なんかなら俺んちの縁の下流し下にぞろぞろいる。裏の竹薮・ガサ藪にだって蟇なんかいくらでもいるなんていう顔している方がおられるけれども、お立ち合い。あれは蟇とは言わないよ。ただの引蛙・疣蛙・御玉蛙か雨蛙青蛙何の薬石効能はござりませぬけれども、手前のこれ四六の蟇だ、四六の蟇。さてしからば四六五六というのはどこで見分けるかっていうと、この肢の指の数。前肢の指が四本で後肢の指の数が六本。これを合わせましては蟇鳴操は四六の蟇。またこのがまの油のとれるのが、五月・八月・十月なるをもって別名これ、五八十は四六の蟇だよ、お立ち合い。

さてしからばこの四六の蟇の棲む処。一体何処なりやと言うなれば、これより遥か北の方、北は常陸の国は筑波の郡、古事記・万葉の古から関東の名峰とうたわれ「筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる」と陽成院の古から歌でも有名なこの筑波山の麓、麓は臼井・神郡・館野・六所・沼田・国松・上大島・東山から西山にかけまして、ゾロゾローと生えておりまする大場子と言う露草をば喰って育ちまするで。

さてしからば、この蟇からこのがまの油の膏薬を採るにはどういう風にするかって言いますと、まずはノコタリノコタリ急ぎ足、木の根・草の根踏みしめまして山中深く分け入り捕え来ましたるこの蟇をば、四面に鏡を張り、その下に金網・鉄板を張る。その箱の中にこの蟇を追い込む。サア追い込まれたガンマ先生己の醜い姿が四方の鏡にバッチリ写るからたまらない。我こそは今業平と思いきや鏡に写る己の姿の醜さに、「ハハア、俺という奴は何という醜い姿であろう。」 と己と己が姿に打ち驚きまして、御体から油汗をばタラーリタラーリと流しまするで。その流した油汗を下の金網からすき取りまして、三七は二十と一日の間、柳の小枝をもちまして、トロリ・トロリ・トローリと煮炊きしめ、赤い辰砂・椰子油・テレメンテイナ・マンテイカという唐・天竺・南蛮渡りの妙薬をば合わせまして、よく練り混ぜて作ったのがこれぞこれこの陣中膏がまの油だ。お立ち合い。これにてがまの油の造り方お分かりでござりまするかな。

ウーン。造り方は分ったけれども、どうせ大道商人のお前のがまの油なんかろくな効き目なんかあるまいと思っているような顔をしている方がおられるようだけれども、膏薬・薬というのは効能が分らなかったら何の値打ちもねえよ。

このがまの油の効能はと言うなれば、まずは湿疹に雁瘡だ。火傷・楊梅瘡はひびに霜焼け・あかぎれ。前に廻ればインキンタムシ、後ろへ廻って肛門の病。肛門の病というのをもっと詳しく言うなれば、出痔に疣痔・走り痔・切れ痔に脱肛に鶏冠痔。鶏冠痔というのは鶏の鶏冠ののように真っ赤になる痔で痔の親分だよ。だが手前のこのがまの油の膏薬をばグッとお尻の穴に塗り込むというと、三分間たってピタリと治る。まだある。大の男が七転八倒畳の上をゴロンゴロンと転がって苦しむのがこれこの虫歯の痛み。だが手前のこのがまの油をば紙に塗って上からペタリと貼るというと、皮膚を通し肉を通して歯茎にしみる。また小さく丸めましてアーンと大きな口開いて歯の空ろにポコンと入れるというと、これ又三分間熱いよだれがタラリタラーリと出ると共に歯の痛みピタリと治る。まだあるよ。エー。槍傷・刀傷・鉄砲傷・擦り傷・かすり傷一切。まだある。エー。どうだ。お立ち合いのお宅に小さい赤ちゃんはいらっしゃるかな。お孫さんじゃ。赤ん坊の汗疹・爛れのような皮膚の病には、手前のこのがまの油の入っておりましたる明き箱・空箱・潰れ箱この箱を見せただけでもピターリと治る。お立ち合い。こんなに効き目あらたかなこのがまの油だけれども、残念ながら効かねえものも四つある。その四つ何かと言うと、まずは恋の病と浮気の虫。あと二つが禿と白髪に効かないよ。ハハア。油屋。お前効かないものなんか並べてきて、もうがまの油の効能というのは終わりになったんだろうなんて思ってる方がおられるけれども、そうではないよ。

も一つ大事なものが残っている。刃物の切れ味をば止めてご覧に入れる。ハイッ。手前ここに取り出したるは、これぞ当家に伝わる家宝にて正宗が暇に飽かして鍛えた天下の名刀、元が切れて中切れない、中は切れたが先切れなかったなんていうお立ち合いのお宅にあるような鈍刀・鈍物とは物が違う。実に良く切れる。抜いてご覧に入れる。エイ抜けば夏なお寒き氷の刃。津欄顛頓玉と散る。どれ位切れるかここに一枚の紙があるから、一つ切って御覧に入れる。ハイ。この紙には種も仕掛けもござりはせぬ。一枚が二枚。二枚が四枚。四枚が八枚。八枚が十六枚。十六枚が三十二枚。三十二枚が六十四枚。六十四枚が一足と二十八枚。これこの通り細かく切れた。フッと散らすならば比良の暮雪か嵐山には落花吹雪の舞とござりまするで。どうだお立ち会い。こんなに切れるこの天下の名刀でも、手前のがまの油をばこの刀の差表・差裏に塗るというと、刃物の切れ味ピタリと止まる。止めて御覧に入れる。これこの通り塗ったから刃物の切れ味止まった。ホイッ。打って切れない叩いて切れない。押して切れない引いても切れない。ハハア。お前のがまの油の膏薬というのは、切れる物をただなまくらにしてしまうだろうなあんて思ってる方がおられるようだけれども、そうではないよ。手前憚りながら大道商人をしているといえども、金看板天下御免のがまの油売り、そんなインチキはやり申さん。この刀に今つけましたがまの油、きれいに拭き取るならば刃物の切れ味また元に戻って、さわっただけでも赤い血が出る。しからば拭いて御覧に入れる。拭いたからたまらない。エイッ。刃物の切れ味元に戻った。我が二の腕をば切って御覧に入れる。エッ。これこの通り赤い血が出ましてござりまする。しかしお立ち合い。心配は無用。ここにがまの油がございまするから、この膏薬をばこの傷口にぬりますというと、タバコ一服吸わぬ間にピタリと止まる、血止めの薬とござりまする。ハーァ。そんなに効き目のあらたかながまの油の効能お分かりでござりまするかな。

お立ち合いの中にはお土産に一つ欲しいと言う方があるかもしれないけれども、本来はこのがまの油、一貝が二百文、二百文ではありますけれども、今日ははるばる出張ってのお披露目。男は度胸で女は愛嬌、坊さんお経で山じゃ鶯ホウホケキョウ、筑波山の天辺から真っ逆様にドカンと飛び降りたと思って、どうだお立ち合い、その半額の半額の百文じゃ。二百文が百文だぜ。エー。効能が分かったらサァドンドンと買って行きな。ドンドンとと買ったり買ったり。ハイ。買った買ったり。